本当に朝の1時間は夜の3時間に匹敵するのか?

意識高い本を読むと,「朝の1時間は,夜の3時間に匹敵します。だから,朝型生活が大事です」みたいな言葉をよく見かける。

本当に,朝の1時間は夜の3時間に匹敵するのか?もし,それが正しいとしたら,なぜなのか?考えてみたい。

朝の1時間で夜の3時間分のアウトプットは出せる?

夜の3時間で,資格試験の1年分の問題を解いて,〇付けと見直しができるとする。じゃあ,それと同じことを朝の1時間でできるか?きっと無理。だから,「朝の1時間で夜の3時間と同じだけのアウトプットを出せる」という意味でとらえるべきではない。

「朝の1時間」を確保する代償は意外と大きい。朝型生活を始めた人あるあるだが,朝早起きしても,頭が働かない。普段すやすやおねんねしていた時間,急に早起きして勉強しようとしても,そう簡単にはいかない。

解釈1:朝の1時間の方が夜の3時間よりも確保しやすい

まあ,これは当たり前。朝の1時間の方が夜の3時間よりも圧倒的に確保しやすい。それどころか,夜の1時間よりも朝の1時間の方が時間は作りやすい気がする。

学校や仕事から帰ってきて,風呂やらごはんやらしていると,なんだかんだで10時とかになる。1日疲れた脳みそで1時間勉強するのは困難。それならば,学校や仕事で疲れていない朝の時間の1時間を使う方が進捗が生まれる気がする。

解釈2:朝の1時間を確保出来る人は,夜の3時間も確保できる

朝の1時間を意識的に自分のために確保できる人は,相当に優秀。それを1か月続けることができたら,「えらい日本人上位10%」にランクインする気がする。そのくらい,「朝の1時間をこつこつ続ける」のは難しい。きっとそういう人は,仕事でも優秀なんだろう。生活のいろんな部分でも自己管理ができているんだろう。

朝の1時間ができる人は,きっと仕事ができて残業せずともやるべきことを終わらせられる。だから,夜の3時間を確保するのもそれほど苦にならないはず。

逆に言えば,朝の1時間すらまともに頑張れないような人には,夜の3時間なんで無理だという話なんだろう。朝の1時間を頑張れる人は,夜の3時間もきっちり確保して成長していく。一方で朝の1時間すら頑張れない人は,夜の3時間も頑張れず,一生成長しないダメ人間のまんまなんだろう。

解釈3:朝の1時間の自己投資は,夜の3時間と同等の自己効力感がある

これはなんだかわかる気がする。同じ時間勉強や作業していても,朝1時間頑張った方が「頑張れた!」という達成感とか自己効力感は大きいと思う。

幸せな人生を生きる上で,「自己効力感」は大切。そして,朝の時間は夜に比べてコスパよく自己効力感を得ることができる。朝の時間のコンディションでどれくらい捗るかは別問題にせよ,コスパよく自己効力感や達成感が得られる朝の時間って,いいものだと思う。

解釈4:夜の3時間は,朝の1時間分程度の進捗しか生まない。

ここで見方を変えてみよう。朝の時間についてここまでフォーカスしてきたが,夜の時間についてそれほど考えていなかった。

仕事や学校から疲れて帰った夜。勉強や自己投資の前にお風呂とかごはんを先に済ませたくなる。夜ごはんやお風呂を済ませると,すっかり体はおやすみモード。副交感神経が優位に働いて,リラックスモードになる。そんなコンディションで,勉強する気なんておきない。

また,夜の時間は誘惑が多い。テレビだってよさげな番組やっているし,疲れた体でスマホをする時間は至福。勉強などは後回しになりやすい。仮に机に向き合えたとしても,途中でテレビ見てしまうかスマホに走ってしまうか,寝落ちてしまうか。

「朝の1時間は夜の3時間に匹敵する」という言葉に一番当てはまる解釈は,「集中力の低い夜の3時間は,朝の1時間程度の進捗しか生まない」ということなのかもしれない。夜の3時間でダラダラ書いたブログは,朝の1時間なら書き上げられる気がする。夜の時間はそれくらい,クオリティが低いということなのだろう。

朝の時間が特別捗るというわけではなく,むしろ夜の時間が捗らないということを強調しているのが「朝の1時間は夜の3時間に匹敵する」という主張なのかもしれない。