二拠点生活トークイベント参加レポート@有楽町 2019 8月

イベントの概要

2019年8月23日、有楽町の交通会館 9階にある「TURNS コミュニティスペース」で開催された、二拠点生活についてのトークイベントに参加してきたので、その様子をレポート。

有楽町交通会館はパスポートセンターや献血ルームの建物として知っている人も多いと思われますが、各都道府県のアンテナショップや「ふるさと回帰支援センター」など、地方とのかかわりが深いテナントが多く入っている。

「TURNS (ターンズ)」は、Uターンなどの移住、地方での仕事やコミュニティに関する情報を発信している雑誌。

今回のイベントを主催したのは、長野県辰野町を中心に、まちづくりやイベント企画、空間デザイン事業を行っている「〇と編集社」という会社。

〇と編集社がどんなことを行っているのかはイベントの中で詳しく触れられていたので、後ほど解説していきたい。

今回参加したイベントの名前が、「たつの暮らし×パラレルキャリア」。

長野県辰野(たつの)町での〇と編集社の取り組みと、二拠点生活しながら複数場所で仕事をする「パラレルキャリア」について紹介していくコンテンツだ。

イベントのプレゼンター

堀口正裕氏…雑誌「TURNS」のプロデューサー

〇と編集社のメンバー3人 (赤羽氏、奥田氏、山下氏)

堀口正裕氏は、「移住」や「二拠点生活」の業界では有名な人。ラジオ Tokyo FM の番組にも毎週出演しており、移住や地方での暮らしの専門家としてメディアへの影響力も持っている人。

本イベントは長野県たつの町を中心に活動する「〇と編集社」が主催しており、二拠点生活を実践するメンバーの3人が、二拠点生活のこと、〇と編集社の活動内容や宣伝をしてくれた。

イベントの規模 様子 参加者の傾向

「移住」や「二拠点生活」のイベントに参加するのは自分自身としては初めてなので、どんな人たちがこのテーマに関心を抱いているのか、自分自身も興味があった。

参加者の様子は、以下の感じだった。

  • イベントの参加人数は、30人程度
  • 男女比は、 半々くらい
  • 年齢層は、40代が多かった。次に多いのが、30代くらいの人たち
  • 大半が、会社員の人。フリーランスの人が数人
  • 大企業、有名企業で仕事している参加者はそれほど多くない印象
  • 参加者のうち、起業した人、起業経験者は2-3人ほど
  • 子供連れで参加している30代男性が、一人いた。そのほかの人は、一人参加。知り合い同士で参加している人はいなさそうだった。
  • 40代が多いせいか、結婚している感じの人が多い。既婚:未婚は6:4 か 7:3 くらいと推察
  • 地方出身で、ふるさとを離れて東京で仕事をしている、という人が多い
  • パートナーや子供が地方にいて、東京で単身赴任しているという参加者が目立った

雑誌「TURNS」と地方暮らし -堀口氏

地方暮らしに関する堀口氏の活動

イベントの一番最初に登壇して話してくださったのは、雑誌 TURNSプロデューサーの堀口氏。

ラジオ出演や、移住イベントを地方や東京で数多く行っており、日本全国あちらこちらに忙しくしてらっしゃっている模様。

当日、パワーポイントを使いながら説明する予定だったが、PC とプロジェクターのトラブルで、スライドが写せず。それでも、様々なイベントでトラブルを乗り越えてきたさすがの堀口氏。スライドがなくても、分かりやすいトークで、地方暮らしや移住、雑誌 TURNS に込めた想いなどについて話してくださった。

TURNS に込めた想い 創刊の経緯

地方での生活や移住に関する雑誌 TURNS は、2012年に創刊した雑誌。それまでは、中高年向けに「自”休”自足」というライフスタイルを提案する雑誌だった。

「自”休”自足」は、自給自足しながら、「休」の文字通り、スローライフを実践する暮らし。

ところが、さまざまな価値観の変化をもたらした2011年の3.11 東日本大震災を契機に、雑誌の方向性を転換。休刊期間を挟み、堀口氏が関わっている複数のライフスタイル雑誌を整理し、コンセプトを見直したのち、2012年に「TURNS」として再スタートした。

「TURNS」は、Uターン、Iターン、Jターン、さらに、離婚をきっかけに地元に帰る「×(ばつ)ターン」など。都会から地方に移住する様々な「ターン」についての情報を発信する雑誌となった。

地方移住に関する情報を発信しているTURNS だが、堀口氏が強調していたのは、「TURNSは、地方礼賛のメディアではない」ということ。

ラジオやイベントなど堀口氏は「移住の専門家」という文脈で呼ばれているけれど、常に心掛けているのは「客観的な視点」。

東京での暮らし、様々な地方での暮らしの比較、移住の成功例も失敗例も見てきたからこそ、「地方で暮らすことこそが、幸せになる方法である」というような地方礼賛な視点に偏らないようにしている。

様々な地方の生活、地域おこし協力隊、地方に移住して起業するなど、様々な形で「ターン」した人の生き方や生活、仕事に関する情報を発信している。興味がある方は是非「TURNS」をよろしくお願いします、という形で、堀口氏のパートは締めくくられた。

二地域暮らしの始め方 -〇と編集社 奥田氏

自己紹介

次に登壇したのは、〇と編集社のメンバーの奥田氏。30代の男性だ。

奥田氏は様々なローカルの取り組みに関わりながら、三重県×長野県たつの町 を行き来しながら仕事するパラレルキャリア&二地域生活を行っている。

毎週水曜日に三重県伊賀市で、作り手の顔を見ながら野菜を買えるマルシェを主催しており、三重県伊賀市に部屋を持っている。三重県の自宅の周りは自然に囲まれており、家の前には美しい滝が流れているという。この自宅で、数年前に結婚した奥さまと一緒に暮らしている。

その他にも、さまざまな団体の様々な活動のディレクターを務めており、そのうちの一つに、長野県辰野町の「〇と編集社」での活動が含まれている。

〇と編集社が長野県辰野町でシェアハウス兼 社宅を運営しており、長野にいるときは、この社宅に寝泊まりしているという。

三重県と長野県辰野町は、車で片道4時間。毎週水曜日にはマルシェのために必ず三重にいる必要があるので、一週間のうち最低1往復、車で三重と長野を往復する生活を送ってるのが奥田氏。

奥田氏の考える「二地域居住」の定義

リクルートが2019年のトレンドとして「デュアルライフ(二拠点生活)」をピックアップした。

また、数年前には国土交通省が、地方創生のための取り組みとして「二地域居住」を推奨する情報を発信するようになった。

そんなこんなで、様々な団体がそれぞれに「二拠点生活」に関する情報を発信するようになった。

例えば、国交省の推奨する二拠点生活では、平日は都市部で仕事、週末は地方でのんびり過ごすという生活が提案されている。

けれども、奥田氏はこんな疑問を持つ。「そんな暮らし方は、従来の ”別荘暮らし” と変わらないのではないか? 二拠点生活に関する定義を、改めて見つめなおす必要があるのではないか?」と思うようになった。

しかも、「長野×三重」という二拠点で生活と仕事をしている奥田氏の生き方は、地方×地方 の二拠点生活。国交省の提案するような「都市×地方」の例には当てはまらない。

そこで奥田氏は、「デュアルライフ」「二拠点生活」など様々に分散した概念を、「二地域居住」という概念の下に統合することを試みる。(奥田氏が定義しようとしている言葉は ”二地域” であって、”二拠点” でないことに注意されたい。)

奥田氏が定義した「二地域居住」とは、以下のようになる。

「複数のローカルのコミュニティに、フィジカルに属している状態」

この定義では、「複数のコミュニティに属している」ことが二地域居住の条件となる。そのため、単なる別荘暮らしは、二地域居住といえる状態でない。

そして重要なのは、「東京も、一つのローカル」と捉えること。これにより、奥田氏のような「地方×地方」も二地域居住に含まれるし、「東京×地方」も二地域居住になる。

二地域居住の分類

奥田氏は、考えるうる様々な二地域居住を分類することを試みる。

奥田氏による二地域居住の分類では、「仕事性」×「コミュニティ参加性」の度合いで分けられる。

・生業型:生業とする仕事を複数地域に持っているために生じる、二地域居住。奥田氏の例に当てはまる

・暮らし型:複数の地域コミュニティに参加することで生じる、二地域居住。祭りや消防団や自治会など、複数の地域の暮らしのコミュニティに参加している状態。

・パラレル型: 都会の企業人のスキルを地域コミュニティで生かす「パラレルキャリア」を歩むことで生じる、二地域居住

・出稼ぎ型:地方での暮らしをメインとして、都会の仕事のコミュニティにも参加する二地域居住

・アトリエ型:出稼ぎ型の逆。都会での暮らしをメインとして、地方の仕事のコミュニティにも参加する二地域居住。デザイナーなどのクリエイティブ職に特徴的。

二地域居住のメリット

奥田氏の述べる二地域暮らしのメリットは、

「価値観や物差しの多様化のこの時代に、複数のコミュニティに属することで、自分にフィットする暮らしを選ぶことができる」

ということ。その延長で、会社という一つのコミュニティに属さず、居場所を分散しながら働くという「パラレルキャリア」という働き方があるのだ。

二地域暮らしの実現で大切なこと

奥田氏はさらに、こう続ける。

「二地域暮らしは、自分の歩みたい人生を歩むための一つの方法にすぎない。」

一つの会社に所属し続ける働き方、同じ場所に住み続ける暮らし。限られた人生の時間の中で、自分の居場所と思えるコミュニティを複数持っておくことで、出会える人の幅が広がる、自分の幸せに関する選択肢が増える。

自分がどんな暮らしを送りたいか、どんな働き方をしたいか、人々に対してどんな貢献をしたいか、どんな人生を歩みたいか。それを実現したい手段の一つとして「二地域暮らし」があるし、そんな生き方を実現できる時代になりつつある。

奥田氏は、自分のやりたいことができる場所が長野県にあると知り、三重でも仕事を持ちながら、「〇と編集社」に飛び込んだ。

当初は長野に家がなく、三重との移動につかう車の中で寝泊まりしていたそう。寒い時は−10℃、アツい時は40℃を超える車内で寝泊まりしていたという。

幸い、〇と編集社の活動が軌道に乗り、社宅 兼 シェアハウスを辰野町に持つようになったことで、奥田氏も社宅に住むことができるようになった。

奥田氏の二拠点生活のケースでは、最初からきれいな形で二拠点生活が始まったわけじゃない。

時にはサバイバルな状況の中で寝泊まりしながらも、「長野の人たちと実現したいこと」を追い求めた結果、今のような二地域暮らしに落ち着くことができたのである。

二拠点生活自体が目的なのではなく、「やりたいことを実現しようとした結果の、二地域暮らし」ということを忘れないようにしてほしい、という点が強調されていた。

パートナーとのありかた

二拠点生活において、パートナーや家族の理解は不可欠であるといわれる。

奥田氏は、二地域暮らしを実践するようになった後に、三重の奥さまと結婚。

奥田氏は、自身の二拠点生活について初対面の人に伝えると、「そんな生活を認めて下さるなんて、よくできた奥様ですね~」といわれるそう。

ある日奥さまは、二地域暮らしを実践し、週の大半を離れて過ごす奥田氏に、こう伝えたという。

「旦那の二地域暮らしには、奥様の理解が必要といわれるけれど、私が旦那のことを我慢している形は嫌。それに、”自由に生きたい旦那に対して、理解のある妻は素敵”というような、古典的な夫婦観で捉えられるのも嫌だ。お互いに、自分の意志で生きているという状態であるべきだと思う。」

本当に色々な意味で、奥田氏の奥様は「よくできた奥様」でいらっしゃると思ったエピソードでした。

二地域暮らしの関わりを創る 〇と編集社 の紹介 -赤羽氏

3人目に登壇したのは、〇と編集社のメンバーの赤羽氏。

横浜と長野県辰野町との二拠点生活を行っており、横浜の暮らしには妻と子供がいる。

自身の二拠点生活に絡めながら、二地域暮らしという関わり方を創っている〇と編集社の紹介をしてくださった。

赤羽氏の来歴

赤羽氏は、長野県辰野町生まれ。一級建築士の資格取得後、建築事務所でサラリーマンとしてキャリアをスタート。

その後、縁あって地元の長野県辰野町の「集落支援員」を経験し、地元とのかかわりを持つように案る。集落支援員は、地方への関わり方として有名な「地域おこし協力隊」と同様に、総務省が募集している事業のひとつ。自治体と住民の間を取り持ってコミュニケーションを促進するなど、地域の活性化に関する様々な役割を担う。

その後、一級建築士・デザイナーとして独立し、辰野町にシェアオフィスを持つようになる。そして、「〇と編集社」の立ち上げに従事し、現在は〇と編集社のエリアイノベーション事業を主に担当している。

その一方で、横浜に妻と子供を持ち、東京近辺で関わっている仕事については、横浜のシェアオフィスで作業をしている。

このように赤羽氏は、横浜と長野の2拠点生活・パラレルキャリアを送っている。

〇と編集社のミッション・事業

〇と編集社のモットーは、「未来は わくわくするもの」。そのために、さまざまな人々に伴奏しながら、スポットライトを当てようとする活動を行う、というのが組織として目指している有り方であり。

現在の〇と編集社の事業は、

・地元工務店(デザイン、建築関連)
・つなぐ編集室(イベント企画など)
・ちょっと未来の研究所(わくわくする未来のために、いろいろな取り組み)

の3本柱。

事業の一つには、辰野町でのシェアオフィス運営がある。シェアオフィスの名前は、「STUDIO リバー」。

このシェアオフィスには、〇と編集社のオフィスも入居している。誰も使わなかったビルを、デザインや建築に関するスキルを活用してリノベし、ビルまるごと月1万円という、都会では考えられない破格の値段で賃貸しているという。

辰野町のSTUDIO リバー を使いたい人は誰でも、かなりリーズナブルな価格で使えるので、気になっている方は〇と編集社のwebサイトをチェックしていただきたい。

また、〇と編集社が運営している会員制のシェアハウスは、一泊1000円で利用できる。

まとめ

イベント主催の〇と編集社の活動内容が盛りだくさんのトークイベントだった。

そこに関わっている人たちの二拠点生活の有り方に触れたことで、二拠点生活に関するイメージが自分の中でかなり明確になったと思う。

改めて実感したのは、漠然と二拠点生活と思っているだけで、二拠点生活は実現できないということ。

奥田氏や赤羽氏は、仕事や住まいについて様々な「実験」をしながら、今のような二拠点生活スタイルを確立してきた。

そして、家族との有り方や子供の成長もあるので、今の二拠点生活がずっと続くわけではないし、3年後には全く違う生活スタイルになっている可能性もあるという。

二拠点生活を実現するために必要なのは、行動すること、実験すること。そして、柔軟に変化していくことも大切なのだと感じたトークイベントだった。